新聞に投稿した中学生の声
昨年2月の朝日新聞の投稿欄に次のような文章が掲載されました。
「死を思うことは 恐ろしいけれど」
(大阪府 13歳 中学生女子)
死んだら、どうなるんだろう。私はよく、そんなことを考える。 天国や地獄という死後の世界が本当にあって、そこで存在し続けることができるのなら、そう願いたい。けれども、死によって私の意識も、心も、何もかもが永遠に消え失せてしまうとしたら……。いま、これを書きながらも私は、底なし沼に沈んでいくような恐怖に襲われている。そして、「まだ私は若いから」と思考を中断するのだ。 他の人はどうだろう。私が敏感なのかと思ったが、まわりの友人に聞いてみるとやはり、恐ろしくて考えるのをやめるという。この恐怖からどうやって逃げたらいいんだろう。大人になったら、怖くなくなるのだろうか。
死について考えることはとても大切なことです。すべての人が必ず死を迎えるのですから、考えるのが自然ですし、考えなければならないのです。皆さんは、この大切な疑問や悩みに対する答えをお持ちでしょうか?
二通りの答え
天国や地獄が実在するのか、それとも死によって何もかもが永遠に消え失せてしまうのか、この答えは神様が現実に存在されるかどうかで決まります。
① 神様が存在しない場合
もしも神様が存在されないのなら、神様のおられる天国も、罪を裁く地獄も存在しないことになります。そして、死ねば何もかもが永遠に消え失せてしまうと考えるしかなくなります。さらに、死によって自分も他人もすべての人が消え失せてしまうのなら、今を生きる中でも本当の生きがいや希望を見出すことはできないでしょう。
② 神様が存在する場合
神様が現実に存在されるなら、神様のおられる天国も、罪を裁く地獄も存在します。死は決して、消え失せてしまうことではありません。死後に永遠の天国に入ることができる人は、今を生きる中でも決して絶望することがありません。
真実はどちらか?
良くデザインされた物は、そのデザイナーが存在することを証明しています。同じように、この世界や人間のすばらしいデザインは、人間を超えたデザイナーが存在することを証明しています。すなわち、すべての創造主である神様が現実に存在されるということです。
「家はそれぞれだれかが建てるのですが、 すべてのものを造られたのは神です。」(新約聖書 へブル人への手紙3章4節)
神様が現実に存在される以上、死後の天国と地獄も現実に存在します。あなたは決して、死によって消滅してしまうことはありません。
誰が天国に入るのか?
次の問題は、誰が天国に入り、誰が地獄に行くのか、ということです。聖書には次のように記されています。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばき(罪の刑罰)を受けることが定まっている」(新約聖書 へブル人への手紙9章27節)
本来なら、すべての人が罪の刑罰である地獄へ行かなければなりません。なぜなら、私たちは天国に入れるほど正しい人間ではなく、それどころか、神様に対して多くの罪を犯してきたからです。人はこの事実を、心の中では知っています。それで死に直面すると、自分の罪を思い出したり、死に対する恐怖を感じるのです。
しかし神様は私たちを、罪も、悲しみも、苦しみもない、幸いな天国に迎えて、永遠に愛したいと望んでくださっています。そこで私たちを救うために、神のひとり子であるイエス・キリストを与えてくださいました。
キリストは、私たち罪人の身代わりとなって十字架で死に、罪の刑罰を受けてくださいました。そして死後三日目の日曜日の朝に復活されました。キリストはその後、天に昇り、今も天国で生きておられます。
神様の前で自分の罪を認め、イエス・キリストをあなたの神また救い主と信じ受け入れるなら、すべての罪が赦され、死後に地獄ではなく天国に入ることができます。お金も修行も不要です。誰でもキリストを信じる人を、神様は恵みで天国へ入れてくださいます。
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(新約聖書 ヨハネの福音書11章25節)
「私たちの国籍は天にあります。」(新約聖書 ピリピ人への手紙3章20節)
キリストを信じた人は、死を前にしても平安を持ち、喜びにあふれることさえできます。ぜひあなたもこのすばらしい救いを受け取ってください。