キリスト信仰の土台である復活
キリスト信仰の土台である復活
キリスト信者は、今から約二千年前に、十字架刑で処刑されたキリストが、死後三日目に現実に復活したと信じています。この信仰は、二千年前から今に至るまでまったく変わっていません。そして聖書を調べると、イエス・キリストの復活がキリスト信仰の土台であることが分かります。聖書を記したパウロ自身もこう語っています。
「キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。」
(第一コリント15章14節)
キリストの復活がキリスト信仰の中心かつ土台です。
復活の証拠
キリストの墓が空になったことは簡単に証明できます。墓に死体があったなら、だれも復活を信じなかったはずだからです。では、なぜキリストの体がなくなったのでしょうか?
キリストの復活を信じない者たちは次のような説明を試みました。
①弟子たちがキリストの死体を盗んだという説
弟子たちにはキリストの体を盗む理由はありませんでした。彼らは、墓が空になったことを聞いたとき、キリストが復活したとは思わず、誰かが体を盗んだと思ったのです。また彼らは、自分たちの師が十字架で死んでしまったので、人々を恐れていました。そのような彼らが、その後、命をかけてキリストの死と復活を宣べ伝えたのです。もし彼らがキリストの体を盗んだというならば、彼らは命をかけて自分たちが作り上げた嘘を宣べ伝えたということになります。それはあり得ないことです。人間は自分の身を守るためなら嘘もつきますが、嘘のために命を捨てるということはありません。
②ユダヤの指導者やローマ政府がキリストの死体を盗んだという説
そもそも彼らには、盗む理由がありません。もし盗んだのなら、弟子たちがキリストの復活を宣べ伝えた時に、キリストの体を提示すれば、弟子たちを黙らせることも、キリスト信仰を消滅させることもできました。しかし彼らにはそれができませんでした。キリストの体を持っていなかったからです。
また、もう一つの大きな事実はキリストの復活後の姿を見た者が多くいたということです。使徒パウロはコリント人への手紙でこのように記しました。
「キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。」(第一コリント15章6節)
この手紙は、キリストの十字架と復活後、およそ二十五年後に書かれたものです。その当時、キリストの復活を証言できる者たちが数百人も生きており、彼らの多くはキリストのために命を捨てたのです。キリストが復活されたということは、このように証明できる事実であり、復活されたキリストこそ生ける神の御子なのです。
復活によって示された救い
では、キリストはどうして十字架で死に、復活される必要があったのでしょうか? それは人間の罪の罰を代わりに受けるためでした。
「キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれた」
(第一コリント15章3節)
すべての人は生まれた時から罪人であり、数々の罪を神様に対して犯しています。私たちをつくられた神様を恐れ、神様に感謝をするのではなく、自分の欲望に従って、偽の神を拝んでいます。また、人を妬み、悪口を言い、悪事を行っています。神様は最高主権者であり、きよい方ですから、このような罪人に対して聖なる怒りを持っておられます。そして罪人を永遠の火の池である地獄でお裁きになります。人間は死後、それぞれの行いに応じて、正しく裁かれるのです。
「しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」
(黙示録21章8節)
しかし、神様は私たち人間を愛しておられます。それで、私たちの刑罰を代わりに受けることで私たちを裁きから救う、救い主を送ってくださいました。それが、人となった神であるイエス・キリストです。イエス様は三十数年間の完全な生涯の最後に、十字架に付けられて死なれました。あなたの罪を負い、あなたの身代わりに罰を受けて死んでくださったのです。そして死後三日目に、死ぬことのない体で復活することで、ご自身こそ、まことの神の御子であり、死に勝利した救い主であることを実証されました。イエス様は復活の四十日後に、エルサレム郊外のオリーブ山から天に上げられ、今も天国で生きておられるのです。
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」
(ヨハネの福音書11章25節)
イエス・キリストを、あなたの神また主として信じ受け入れるなら、神様はあなたのすべての罪を赦し、天国に迎えてくださるのです。そして、永遠に神の愛の中で、神と共に生きることができます。復活し今も生きておられるイエス・キリストを、あなたも信じて、天国に行く幸いな方となってくださいますように。